タイプーサム Thaipusam
たまには住まわせてもらっているマレーシアのこともKWにあげようと思いつつ。
2/1に見てきました。
ヒンドゥー教のお祭りです。ここマレーシアは、チャイニーズ、マレー、インド(多くは南インド)の3民族が暮らす国なので、国教こそは、イスラム教ですが、インド系の方のこういったお祭りも盛大に行われています。
タイプーサムとはなんぞや?ラムレーズンさんのKWが詳しいですのでご参照ください(^^ゞ
ネットの画像で、ピンを刺したまま練り歩いているらしい姿を見て、「おぉぉ」とは思ったものの、
こちらに住まう日本人はたいてい、「来た年に一度観に行ったけど…う~ん、一度観たらいいかなぁ…ちょっと、やっぱり見て気持ちいいもんではないしねぇ…」と口を揃える。
それを聞いた私は、わざわざ暑い最中に、見にでかけるのが、面倒だなぁという理由(子供はまず行きたがらないし)で、見送っていました。
ですが、やはり「百聞は一見にしかず」なのですから、今年は重い腰をあげて出かけてみました。…で、印象は………
タイプーサムはヒンドゥーのお祭りですが、本場インドではやらないそうです。インドでもタミル(南インド)のみに伝わっているようですが、本場インドでも、あまりメジャーではなさそう。マレーシアでも、どこでもあるというわけではありません。ちなみに、開催される場所がある州のみ、祝日になります。(オフィス、学校休み)ちなみに、この国は、3民族のホリデーは、すべての国民の祝日になるのです。マレー(モスリム)のホリデー、チャイニーズのホリデー、ヒンドゥーのホリデー、キリスト教のホリデー。。。(宗教は違っても、いっしょくた。仲良しです)
ちょうど、現地の新聞にマレーシア観光局の広告が掲載されていました.。開催地区、場所など詳細をご覧になりたい方はクリックして大きくしてご覧ください。
~~~
だいたいあの通りまで出れば、お祭りに出くわすだろう…的なアバウトな情報で出かけてみました。歩くに連れ、インド音楽が風に乗って聞こえてきます…。ともに同じ場所に向かってるだろう人たち(インド人の方々)も増えてきます。
みな、女性はきらびやかなサリーを来て、いつもより断然おしゃれしています。髪に生花を飾ったり、子供もとても可愛い。老若男女、みな一風呂あびてきたかは知りませんが、どことなくこざっぱりとしている様子。
あとで気づきましたが、たいてい、ステンレスの手つきの壺のようなものを提げていたりします。
さて、とうとうその通りに着くと、いきなり大音響のインド音楽、(いわゆるyogaのときに流れるようなインド瞑想音楽ではありません。)インドダンスのときにかかる音楽、おそらくバングラ音楽といわれるものに近いと思うのですが、それが耳をつんざくように鳴っています。ここは、都心のライヴハウスではなく、炎天下のマレーシアの路上ですが、隣で話しをしても聞こえないほどの音です。
フック(釣りをするときのかぎ針のもっと大きいものです)を裸の肌にいくつも刺して、そのフックには、果物(ライムなど)だったり、画像の男性のように銀の壺状のものだったり(上半身表裏全面に隙間泣く提げている人達もいます)、またフックにロープをつなげて、それをまた、わざと負荷がかかるようにひっぱってくれる介添人がお供していたりします。もちろん、フックから限界まで、肌の皮がひっぱられています。(でも不思議なことに裂けたりはしていません)また、口の横から真一文字に串を刺していたりもします。血は流していません。
この画像の男性は、フックもまばらで、それほどの荒行者ではないと思われますが参考までに。
↑この人は歩いていただけですが、チームで同じコスチューム?(というかフックとか装飾品)をつけた男たちが、踊り、練り歩きます。やはり聞いていた通り、軽いトランス状態です。
でもトランスと言っても、おそろしいものを見たというほどのものではなくて、
こちらにも一種のグルーヴ感と言っては失礼でしょうが(他に言葉が見あたらない)伝わってきました。踊る男達、インド音楽、道すがら飾られた、おびただしい、インドの神様たちの姿。(どれだけガネシャの写真をとってしまったことでしょう)地面に描かれた絵…。
すばらしいものを見せてもらったという気がしました。
やはり私はお祭り好きなのかもしれません。
いや、祭り好きと言ってしまうには、語弊があるかもしれませんが、人々のスピリチュアルなものに触れた気がして、精神的な高揚感を感じましたし、ある意味浄められた気がしました。
ステンレスの壺に、パックの牛乳を注いでいる人を見ました。
よくはわかりませんが、あの壺はミルクポットで、この道行きの負荷にする云われのあるもののようです。串を刺したり、荒行はできないけれど、なにか重いものを持っていっしょに歩く、ということなのでしょう。実際、この炎天下にミルクをいれて歩いたら間違いなく腐りますので、皆がそうしているかは疑問ですが。なかなか素敵なポットで、小さい子供も持っており、この儀式の部外者である私ですが、少しうらやましく思いました。
…私は、またぜひ見たいと思いました。単なる奇天烈なアトラクションや見せ物とは違います。私たちのように外人客も(とくにウェスタン)見に来ています。けれど、信者でないと見てはいけないという風情はみじんもありません。ですが、やはり霊験あらたかな風情を感じましたし、この場の雰囲気を味わえたことは私にとって、ハッピーなことでした。
いやいやながら付いてきた息子も、カルチャーショックを受けながらも、「見に来てよかった?」と訊ねる私に「うん、よかった」と一言答えました。
日本だったら、きっと沿道に屋台が並んで、それはそれでかきいれどきになってしまうのかもしれませんが、こちらでは、インドフーズやドリンクをタダでふるまうサービスはありましたが、商売をしている人はまずおりません。神聖なものなのですね。文化の違いも印象深かった一日でした。
2/1に見てきました。
ヒンドゥー教のお祭りです。ここマレーシアは、チャイニーズ、マレー、インド(多くは南インド)の3民族が暮らす国なので、国教こそは、イスラム教ですが、インド系の方のこういったお祭りも盛大に行われています。
タイプーサムとはなんぞや?ラムレーズンさんのKWが詳しいですのでご参照ください(^^ゞ
ネットの画像で、ピンを刺したまま練り歩いているらしい姿を見て、「おぉぉ」とは思ったものの、
こちらに住まう日本人はたいてい、「来た年に一度観に行ったけど…う~ん、一度観たらいいかなぁ…ちょっと、やっぱり見て気持ちいいもんではないしねぇ…」と口を揃える。
それを聞いた私は、わざわざ暑い最中に、見にでかけるのが、面倒だなぁという理由(子供はまず行きたがらないし)で、見送っていました。
ですが、やはり「百聞は一見にしかず」なのですから、今年は重い腰をあげて出かけてみました。…で、印象は………
タイプーサムはヒンドゥーのお祭りですが、本場インドではやらないそうです。インドでもタミル(南インド)のみに伝わっているようですが、本場インドでも、あまりメジャーではなさそう。マレーシアでも、どこでもあるというわけではありません。ちなみに、開催される場所がある州のみ、祝日になります。(オフィス、学校休み)ちなみに、この国は、3民族のホリデーは、すべての国民の祝日になるのです。マレー(モスリム)のホリデー、チャイニーズのホリデー、ヒンドゥーのホリデー、キリスト教のホリデー。。。(宗教は違っても、いっしょくた。仲良しです)
ちょうど、現地の新聞にマレーシア観光局の広告が掲載されていました.。開催地区、場所など詳細をご覧になりたい方はクリックして大きくしてご覧ください。
~~~
だいたいあの通りまで出れば、お祭りに出くわすだろう…的なアバウトな情報で出かけてみました。歩くに連れ、インド音楽が風に乗って聞こえてきます…。ともに同じ場所に向かってるだろう人たち(インド人の方々)も増えてきます。
みな、女性はきらびやかなサリーを来て、いつもより断然おしゃれしています。髪に生花を飾ったり、子供もとても可愛い。老若男女、みな一風呂あびてきたかは知りませんが、どことなくこざっぱりとしている様子。
あとで気づきましたが、たいてい、ステンレスの手つきの壺のようなものを提げていたりします。
さて、とうとうその通りに着くと、いきなり大音響のインド音楽、(いわゆるyogaのときに流れるようなインド瞑想音楽ではありません。)インドダンスのときにかかる音楽、おそらくバングラ音楽といわれるものに近いと思うのですが、それが耳をつんざくように鳴っています。ここは、都心のライヴハウスではなく、炎天下のマレーシアの路上ですが、隣で話しをしても聞こえないほどの音です。
フック(釣りをするときのかぎ針のもっと大きいものです)を裸の肌にいくつも刺して、そのフックには、果物(ライムなど)だったり、画像の男性のように銀の壺状のものだったり(上半身表裏全面に隙間泣く提げている人達もいます)、またフックにロープをつなげて、それをまた、わざと負荷がかかるようにひっぱってくれる介添人がお供していたりします。もちろん、フックから限界まで、肌の皮がひっぱられています。(でも不思議なことに裂けたりはしていません)また、口の横から真一文字に串を刺していたりもします。血は流していません。
この画像の男性は、フックもまばらで、それほどの荒行者ではないと思われますが参考までに。
↑この人は歩いていただけですが、チームで同じコスチューム?(というかフックとか装飾品)をつけた男たちが、踊り、練り歩きます。やはり聞いていた通り、軽いトランス状態です。
でもトランスと言っても、おそろしいものを見たというほどのものではなくて、
こちらにも一種のグルーヴ感と言っては失礼でしょうが(他に言葉が見あたらない)伝わってきました。踊る男達、インド音楽、道すがら飾られた、おびただしい、インドの神様たちの姿。(どれだけガネシャの写真をとってしまったことでしょう)地面に描かれた絵…。
すばらしいものを見せてもらったという気がしました。
やはり私はお祭り好きなのかもしれません。
いや、祭り好きと言ってしまうには、語弊があるかもしれませんが、人々のスピリチュアルなものに触れた気がして、精神的な高揚感を感じましたし、ある意味浄められた気がしました。
ステンレスの壺に、パックの牛乳を注いでいる人を見ました。
よくはわかりませんが、あの壺はミルクポットで、この道行きの負荷にする云われのあるもののようです。串を刺したり、荒行はできないけれど、なにか重いものを持っていっしょに歩く、ということなのでしょう。実際、この炎天下にミルクをいれて歩いたら間違いなく腐りますので、皆がそうしているかは疑問ですが。なかなか素敵なポットで、小さい子供も持っており、この儀式の部外者である私ですが、少しうらやましく思いました。
…私は、またぜひ見たいと思いました。単なる奇天烈なアトラクションや見せ物とは違います。私たちのように外人客も(とくにウェスタン)見に来ています。けれど、信者でないと見てはいけないという風情はみじんもありません。ですが、やはり霊験あらたかな風情を感じましたし、この場の雰囲気を味わえたことは私にとって、ハッピーなことでした。
いやいやながら付いてきた息子も、カルチャーショックを受けながらも、「見に来てよかった?」と訊ねる私に「うん、よかった」と一言答えました。
日本だったら、きっと沿道に屋台が並んで、それはそれでかきいれどきになってしまうのかもしれませんが、こちらでは、インドフーズやドリンクをタダでふるまうサービスはありましたが、商売をしている人はまずおりません。神聖なものなのですね。文化の違いも印象深かった一日でした。
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